コストブログ2 龍馬伝関連「中岡慎太郎(前編)、天誅組の変」(ver.2)

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龍馬伝関連「中岡慎太郎(前編)、天誅組の変」(ver.2)

龍馬伝41回感想「さらば伊勢谷晋作」の続き。
http://cost-off.seesaa.net/article/165729086.html


         龍馬伝関連「中岡慎太郎」(前編)

 中岡慎太郎は、龍馬と同じく薩長同盟の立役者で陸援隊の隊長だが、龍馬伝でもほかの作品でも「龍馬と一緒に暗殺された人」のようなぞんざいな扱いが多いので、龍馬伝の関連記事としてアップ。

 中岡は、龍馬より2歳年下の1838年5月6日(天保九年四月十三日)に北川郷の大庄屋の長男として誕生。龍馬伝では上川隆也が演じた。

 武市半平太(瑞山)の作った土佐勤皇党は、主に郷士(下士)と庄屋階級で構成されていて、庄屋は農民を管理する村役人的(農民側の代表者)な立場で、苗字帯刀が許されていたので郷士に近いと存在。関ヶ原後に山内家が土佐に入った時に長宗我部の家臣の中には庄屋になった者もいる。
 天誅組挙兵で戦死した吉村虎太郎(天誅組の変)も高岡郡梼原村の庄屋で、中岡慎太郎は安芸郡北川郷の14の村を管理する大庄屋の長男だった。中岡は、17歳で田野(安芸郡の町)に出張で来た武市瑞山に剣術を習い、翌年高知城下の武市道場に入門する。20歳で長男として大庄屋見習に就く。

 薩長同盟締結と陸援隊結成に向かうにしても、龍馬よりも土佐藩や長州藩、薩摩藩との関わりが深く(龍馬は勝海舟のつてで幕府や親藩方面にも顔が利く)、龍馬の大政奉還実現に協力はするものの中岡の基本方針は武力倒幕であり、土佐藩を薩長と並んでの武力倒幕に踏み切らせたのは中岡の活躍によるものが大きい。
中岡慎太郎2
中岡慎太郎

  <中岡の活動>
 中岡は、1861年(文久元年)24歳で武市の土佐勤皇党盟約に参加し、武市の土佐一藩による尊王攘夷に向けて活動を始める。
 幕府はペリーの黒船来航以来、軍事力ではかなわないため米、英、フランスなど諸外国に不平等条約を結ばされ、これに反対する憂国の士を安政の大獄など弾圧していた。これに対して、武市や長州藩は京都で朝廷の権威回復、再建しようとしていた。
 が、土佐山内家は関ヶ原の恩賞で土佐一国をもらったことや、山内容堂(豊信)の相続の問題で幕府に借りがあり、また安政の大獄(1858年)での隠居・謹慎の処分を受けていたので幕府に目をつけられたくないこともあり、土佐藩の実権を握っていた参政の吉田東洋は武市の意見を採用しなかった。

 そのため、武市は1862年(文久二年)4月2日、高知城下帯屋町で吉田東洋を暗殺し、土佐勤皇党が藩の実権を握って京都で活躍する。同年8月、中岡も武市の土佐藩主山内豊範を擁して上京する列に参加。(同年3月24日に龍馬はすでに脱藩している)

 中岡は京都、江戸、水戸など各地の尊攘派との接触する。さらに1862年12月に信州松代で佐久間象山に長州の久坂玄瑞とともに面会する。面会目的は、象山を長州や土佐藩が招聘するためだったらしいが、実現しなかった。

 1863年、山内容堂が江戸での隠居・謹慎から土佐に帰国し、実権を握ると吉田東洋暗殺事件の下手人捜索を始める。容堂は、山内家の土佐一国もらった件や自分の相続での幕府への借りもあり、公武合体派であったが、まだ長州などの尊王攘夷派の勢いがあるうちは、それに同調する振りをしていた。やがて、「八月十八日の政変」で尊攘派の公家と長州が京都から追放される(七卿都落ち)と、同年9月21日に武市らを投獄し、本格的に土佐勤皇党の弾圧を始める。
 同時期に天誅組の変が起こる。

関連記事:龍馬伝20-27回感想「土佐勤皇党弾圧その一」&年表1
http://cost-off.seesaa.net/article/155404495.html

<天誅組の変>
 8月13日、三条実美ら攘夷派公卿が画策して大和行幸の詔(孝明天皇が神武天皇陵に参拝し、攘夷親征を行う)が発せられた。
 土佐脱藩志士の吉村虎太郎は松本奎堂、藤本鉄石ら同志とともに大和行幸の先駆けとして大和国で倒幕の義兵を挙げることを計画。同14日、吉村は池内蔵太(土佐脱藩)ら同志39人(内、土佐脱藩18人、久留米脱藩8人)で方広寺に集結して公卿中山忠光(明治帝の叔父)を主将に戴き京都を出立した。彼らは天誅組と称された。

 天誅組は河内国に入り、狭山藩に銃器武具を献上させると大和国へ進み、8月17日に五条代官所を襲撃して、討幕の兵を挙げた。天誅組は五条天領を「天朝直轄地」とすると布告し、「御政府」を称し、中山忠光卿を主将、吉村、松本、藤本を総裁とする職制を定めた。池 内蔵太はゲベール銃隊長を務めた。
 三条実美は天誅組の過激な行動を危惧し自重を促そうと平野国臣を遣わしたが、挙兵の直後に八月十八日の政変が起こり政局は一変し、三条ら尊攘派公卿は失脚、長州藩も京都からの撤退を余儀なくされ、天皇の大和行幸の詔は偽勅とされた。

 挙兵の目的だった大和行幸もなくなり、天誅組は孤立する。幕府の討伐軍に対抗するために吉村らは十津川郷士を募兵して1000人の兵をかき集め、高取藩兵と戦うが吉村は味方の誤射を受けて重傷を負う。

 9月に入り、天誅組は幕府の命を受けた周辺諸藩の大軍(総兵力14000人)の攻撃を受けて、奮戦するが各地で敗退。中山忠光卿を逆賊とする詔が下るに及んで十津川郷士も離反。天誅組は脱出すべく山中を彷徨うが9月24日に鷲家口(奈良県東吉野村)で紀州・彦根藩兵と戦闘となり、主将の中山卿は池 内蔵太らの護衛によって辛うじて敵中突破して脱出するが、総裁の松本、藤本らほとんどがここで戦死するか捕縛され、天誅組は壊滅した。
 傷が悪化して歩行困難となっていた吉村は一行から遅れ、駕籠に乗せられて運ばれていたが、27日に津藩兵に発見され射殺された。享年27。戦場を斬り抜けた池 内蔵太らは、河内口から大阪の長州藩邸へたどり着く。その後、池は京都へ潜伏する。
吉村寅太郎
吉村寅太郎像(高知県津野町、Wikiの画像、虎太郎の虎は寅とも表記する)

 
 「八月十八日の政変」の頃、土佐にいた中岡は、高知城下で上士の中では珍しく尊攘派の乾退助(板垣退助)に面会して意気投合する。
 1863年9月20日頃、中岡は長州の三田尻へ行き都落ちした七卿に面会し、京都の情勢や天誅組の変について聞く。面会した三条実美から和歌を贈られる。

 武市投獄後の土佐では、投獄を逃れた土佐勤皇党の有志が次々に脱藩を始める。三田尻から帰国した中岡にも藩庁から捕縛命令が出ており、中岡は1863年(文久三年)10月頃に脱藩し、長州の三田尻へ身を寄せる。三田尻には、長州藩が設けた招賢閣という施設があり、ここに都落ちした三条実美ら七卿や尊王攘夷派の諸国の志士が集まっていた。
 以後、長州の招賢閣を根拠にして脱藩志士として活躍することになる。

龍馬伝関連「中岡慎太郎(中編)、池田屋の変、野根山二十三士殉節」につづく
http://costblog2.blog24.fc2.com/blog-entry-338.html

参照:平尾道雄著「中岡慎太郎 陸援隊始末記」「坂本龍馬 海援隊始末記」
参照:Wiki「吉村虎太郎」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%91%E8%99%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E
Wiki「天誅組の変」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%AA%85%E7%B5%84%E3%81%AE%E5%A4%89


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関連記事:【2010年大河】龍馬伝キャスト発表【福山雅治】
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