コストブログ2 龍馬伝関連「中岡慎太郎(中編)、池田屋事件、野根山二十三士殉節」ver.2.2

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龍馬伝関連「中岡慎太郎(中編)、池田屋事件、野根山二十三士殉節」ver.2.2

龍馬伝関連「中岡慎太郎(前編)、天誅組の変」ver.2の続き。
http://costblog2.blog24.fc2.com/blog-entry-228.html

龍馬伝関連「中岡慎太郎(中編)、池田屋事件、野根山二十三士殉節」

 中岡は、文久三年(1863年)10月に土佐勤皇党への弾圧が始まった土佐から脱藩、長州・三田尻にある長州藩が設けた招賢閣に身を寄せていた。そこには「八月十八日の政変」で都落ちした三条実美ら七卿や尊王攘夷派の脱藩志士が集まっていた。七卿のうち平野国臣は但馬での挙兵失敗により行方不明となり、錦小路頼徳は病死して二卿欠け、ほどなく五卿になる。

 この時期の招賢閣には、土佐の土方楠左衛門、久留米の真木和泉、肥後の宮部鼎蔵らがおり、集まった志士たちを統制するため招賢閣会議員(議政機関)を組織し、その会議員に中岡は推薦される。志士たちは人材を集めるべく諸国に働きかけ、中岡も京都で活動する。脱藩後は、変名の「石川清之助」などを使い始める。

<池田屋事件>
 京都で中岡は、長州の高杉晋作と島津久光暗殺計画(未遂に終わる)や、土佐脱藩志士と情報交換を行い、長州と京都を往復して活動する。

 元治元年(1864年)6月5日、中岡が京都不在中に「池田屋事件」が起こり、新選組の襲撃により土佐の北添佶摩、望月亀弥太(義澄)、伊藤弘長、石川潤次郎、長州の吉田稔麿、肥後の宮部鼎蔵、松田重助らが闘死・自刃する。他にも捕縛後に刑死した者も多く、尊攘派は大打撃を受けた。

 この時期(元治元年の前半)、龍馬は勝海舟に師事し、前年にできた神戸海軍操練所の塾頭になり、また勝とともに大阪、長崎、熊本、大阪、江戸へと出張していた。また、龍馬は諸藩の浪士による蝦夷地(北海道)開拓計画を立てて、北添佶摩たちが蝦夷地の視察を終えていたが、計画実現されないまま、池田屋事件が起こった。事件の時に龍馬は、江戸に向かっていて京都には不在だったと言われている。

 池田屋事件では、神戸海軍操練所の塾生の望月亀弥太が横死をとげており、勝は『海舟日誌』の中で
「当月六日、浮浪殺戮の挙あり、壬生浪士興の余無辜を殺し、土州の藩士、又我が学僕望月など此災いに逢う。長藩も亦然り」
(同年六月二十四日の項)
と記している。
 無辜(むこ)とは「罪のないこと。罪のない人」の意で、「新撰組は興のあまり、罪のない人々を殺した。土佐藩士や我が弟子、望月亀弥太も殺され、長州藩士も同じく殺された」という内容である。事実、この事件によって新選組の名は天下に轟いた。

 龍馬と中岡は不在だったが、後に龍馬の妻となるお龍が京都に居合わせ、望月の最期を聞いてせめて形見でもと現場に向かったが、「死体にはすでにこもがかけられて、番士の監視が厳しくてどうすることもできなかった」と後日談で語っている。

 しかし、池田屋事件は冤罪だとする説もある。「京都大火計画」「松平容保暗殺」「天皇拉致」などの尊攘派の陰謀は幕府側の記録にはあるものの尊攘派側の記録には一切なく、『木戸孝允日記』にも、このとき池田屋で計画されていたのは新選組に逮捕監禁されている仲間(古高俊太郎)を救うための会合としか記されていない。
 証拠と言えるものは土方に壮絶な拷問を受け、無理矢理自白させられた古高が語ったとされる発言のみで、その古高も早々に処刑されており、客観的な証拠が乏しく尊攘派の威信失墜や新選組の威信高揚を狙った捏造もしくは誇張の可能性がある。事件後、池田屋は尊攘派志士をかくまっていたとして主人の池田屋惣兵衛は捕らえられ獄死した。
 尊攘派で戦死した吉田稔麿・北添佶摩・宮部鼎蔵・大高又次郎・石川潤次郎・杉山松助・松田重助らは、後の新政府により「殉難七士」と呼ばれることになる。

 長州藩は池田屋の変によって憤激し、「八月十八日の政変」(長州藩の京都の政局から追放)に対して巻き返すため、藩内の強硬派に引っ張られる形で軍を率いて東上を始めた(7月19日の「禁門の変」へとつながる)。中岡がいる三田尻の招賢閣でも脱藩志士を中心とする「忠勇隊」が組織され、真木和泉が軍事総裁に就任して長州軍として参戦することになる。中岡も忠勇隊の一員として6月後半に京都・長州藩邸に入った。

参照:Wiki「池田屋事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
関連記事:龍馬伝23-24回感想「泰造の近藤勇2&池田屋事件」
http://cost-off.seesaa.net/article/153262420.html

<野根山二十三士殉節>
 中岡は元治元年(1864年)5月、京都の情勢を報じて土佐にいる同志に協力を求めた檄文を作成する。中岡の檄文に影響を受けた土佐の同志ら30名が土佐藩庁に建言書を提出し、藩論の不振(攘夷)を訴え、獄中の武市半平太(瑞山)の釈放を願った。

 同じく安芸郡の郷士の清岡道之助ら二十三士も嘆願書を提出するが、藩庁は黙殺したため元治元年(1864年)7月26日、野根山に集結(野根山街道にある岩佐の関所を占拠)して強訴を試みる。藩庁は鎮圧のための上士で藩の大監察だった小笠原只八率いる数百の兵(一説には兵800)を派遣した。
 小笠原は銃声による威嚇を行い、武器を捨て投降するよう説得したが、清岡らは「武器を持つのは身の護りであり、けっして反抗の意志はなく、藩主に嘆願しているだけだ」と主張し、抗戦せず山越えをして隣国の阿波までは逃れたが、船津の関所で阿波藩に補えられ土佐に送還された。

 同年9月5日、捕縛された清岡らに対して当時藩の大監察だった後藤象二郎、乾退助(のちの板垣退助)らから「罪状を吟味する必要無し。現地において速やかに処刑せよ」との命令が発せられ、一切の取調べもないまま23人全員が奈半利川河原にて処刑された。刑は最年少16歳の木下慎之助から処され、清岡道之助と清岡治之助の遺骸は、高知城下の鏡川の河原で3日間晒(さら)された。その後、二十三士は清岡家の菩提寺である福田寺(田野町)に埋葬された。
 清岡道之助は享年31歳。明治24年、従四位を追贈。
二十三士
野根山二十三士殉節地の碑(高知県安芸郡田野町)
(画像の引用元は「土佐の歴史散歩」:http://tosareki.gozaru.jp/index.html)

 清岡ら二十三士は、阿波から海路で長州へ脱藩することを考えていたが、海が荒れていて船が出せなかったと言われており、もし海路で多くの脱藩志士が集まっていた長州まで逃れていたら刑場の露と消えることはなかっただろう。

 長州で清岡らの殉難の報を聞いた中岡は、大いに嘆き、土佐の同志に
「天下挽回再挙なきにあらず、然りながら今暫く時を見るべし。依りて沸騰及び脱藩は甚だ無益なり。涙を抱えて沈黙すべし。他に策なし」
という悲痛な自重を求める手紙を送っている。

関連記事:龍馬伝28回感想「武市の夢・土佐勤皇党弾圧その二」
http://cost-off.seesaa.net/article/156757432.html
Wiki「清岡道之助」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%B2%A1%E9%81%93%E4%B9%8B%E5%8A%A9

参照:平尾道雄著「中岡慎太郎 陸援隊始末記」「坂本龍馬 海援隊始末記」

【歴史】龍馬が教科書から消えるにつづく
http://costblog2.blog24.fc2.com/blog-entry-1107.html

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関連記事:【2010年大河】龍馬伝キャスト発表【福山雅治】
http://cost-off.seesaa.net/article/123522208.html
まとめて読む→歴史&高知カテゴリー(コストブログ)
http://cost-off.seesaa.net/category/2869212-1.html
歴史&高知(龍馬伝など)カテゴリー(コストブログ2)
http://costblog2.blog24.fc2.com/blog-category-10.html

<同カテゴリー過去記事リンク>
CMツッコミ、『龍馬伝』1,2話感想(画像追加)
http://cost-off.seesaa.net/article/138129397.html
『龍馬伝』6話感想「生瀬松陰」
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龍馬伝8話感想「香川弥太郎」&『猛き黄金の国』
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『龍馬伝』主要キャストの扱われ方
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龍馬伝11,12話感想「東洋と武市、容堂」
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『龍馬伝』視聴率(4/19-25)
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龍馬伝21回感想「泰造の近藤勇」
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龍馬伝23-24回感想「泰造の近藤勇2&池田屋事件」
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龍馬伝20-27回感想「土佐勤皇党弾圧その一」&年表1
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龍馬伝28回感想「武市の夢・土佐勤皇党弾圧その二」
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龍馬伝30,32,33回感想「主役を食う配役・伊勢谷の高杉晋作、泰造の近藤勇3」
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龍馬伝41回感想「さらば伊勢谷晋作」
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龍馬伝関連「中岡慎太郎(前編)、天誅組の変」
http://costblog2.blog24.fc2.com/blog-entry-228.html
龍馬伝関連「中岡慎太郎(中編)、池田屋事件、野根山二十三士殉節」
http://costblog2.blog24.fc2.com/blog-entry-338.html

龍馬役&『竜馬におまかせ!』
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『大河ドラマの釣り&龍馬伝&お龍写真』
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『江口龍馬(新撰組!より)』
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『くどいほどに龍馬』
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【写真シリーズ】高知・桂浜
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